「明日は我が身」の体験
新入社員のとき、Javaの外部研修を受けました。あの研修はそれまでオブジェクト指向型言語を扱ったことがなかった自分にとって大変有意義なものとなりました。おかげでPythonをはじめとした別言語でクラスを使ったコードを書くのも大変じゃなかったです。本当、会社に感謝してます…まあそれはいいとして。 問題だったのはその研修の講師の方がとても逆贔屓する(試験の成績が悪かったりプログラミングができないと見なした人に対してかなりキツい言い方をする)方であったことです。私は試験の成績もよく(頑張ったので、ということを強調しておきます)演習問題も積極的に取り組んだ(進んで書いたコードを発表したり説明中に手を挙げて質問したりした)のであまりキツい言い方をされなかったのですが、他の人には容赦なく言葉の雨が降り注いでいました。 他の人がキツく言われているのを聞くのはいいものではありません。自分が怒られているわけではないけれど、ダメージがあります。キツく言われている人がいたのに自分は何もしなかった。今、とてもそれを後悔しています。あそこで声をあげていれば周りの人にとっても自分にとっても、研修がもっといい経験になったに違いありません。 「自分にとっても」と書きました。それには含みがあります。最終的に私も講師の方にキツく言われることになりました。それが今でもトラウマになっており、ネガティブになっているときに思い出してはイライラすることが多いです。そういう気持ちになったときは「これから何をするか」に目を向けてすぐ気持ちを切り替えるようにはしていますが…まあそれはいいや。 研修の最後には、グループでWebアプリを作成して発表する演習がありました。そこで私はプロジェクトリーダーを立候補して務めることになったのですが、いかんせん経験不足でプロジェクトは大炎上したのです。発表ではお偉いさんから「歴代の発表で最低」と言われる始末(今思えばそこまで言わなくても…と思いますが)。そんな炎上プロジェクトのリーダーに対して講師の方はついにキツく言ってきました。このときほど「明日は我が身」を体感したことはないです。 当然、指摘された内容には耳を傾けるべきです。ただ物には言い方というものがあります。言い方を間違えれば相手を必要以上に傷つけます。伝えた内容に聴く耳を持ってもらえないことすらあるかもしれません。怒鳴られた相手は萎縮し、今後コミュニケーションが取りづらくなる。悪いことしかありません。ですから、言い方には気をつけるべきなのです。 今日書いた内容は自分への戒めにもなっています。今後仕事で後輩や部下ができたとき、上の経験を反面教師にしてやっていきます。